ガチ恋とは何か?
ガチ恋の流儀

ガチ恋とは何か?それは現実の恋愛感情と同じだという話

「ガチ恋」という言葉を検索したあなたは、
もしかするとこんな不安を抱えているかもしれません。

自分はガチ恋なのだろうか。
もしガチ恋だったら、よくないことなのだろうか。
周りから見て、重いとか、厄介だとか、そう思われていないだろうか。

ガチ恋という言葉には、
いつの間にか少しネガティブな響きがまとわりついています。
だからこそ多くの人が、「自分はガチ恋なのかどうか」を確かめるために、この言葉を検索します。

この記事では、
そんな不安を前提にした上で、
「ガチ恋とは何か」という問いを一緒に深掘りしていきましょう。

先に結論を簡潔に述べますと、
ガチ恋は特別で異常な感情ではありません
本質的には、私たちが現実の恋愛で抱く恋愛感情と、同じものとして捉えることができます。

ここから先では、
世間でよく言われているガチ恋のイメージや、
ガチ恋に関するよくある疑問を一つずつ整理しながら、
私自身がたどり着いたガチ恋の定義をお伝えします。


私れっくすはガチ恋歴およそ6年の、いわばガチ恋のプロです(笑)。
私自身が当事者として悩み、模索し続けてきた経験から、「ガチ恋研究家」を名乗り、
これまでにガチ恋や推し活に関する書籍をKindleで10冊出版してきました。
また、「ガチ恋研究家」としてABEMA Primeにスタジオ生出演した経験もあります。

ただし、私はガチ恋を裁く立場でも、正解を押し付ける立場でもありません。
あくまで、同じ当事者として、
ガチ恋という感情をどう整理し、どう向き合えば壊れずにいられるのかを考え続けてきた一人です。

もしあなたが今、
「自分の気持ちが何なのか分からない」
「ガチ恋という言葉に振り回されている」

そんな状態なら、この記事がその気持ちを整理する一助になれば嬉しいです。


筆者れっくすがABEMA Primeに出演した際の楽屋前写真

筆者:れっくす
VTuber絵夢アリスガチ恋勢(ガチ恋歴約6年)

推し活でのモヤモヤを軽くする考え方を発信するベストセラー推し活作家。ABEMA Primeなど複数のメディアに出演。

※この記事はVTuberさんへの推し活をイメージして執筆しておりますが、他ジャンルでの推し活をしている方にもお楽しみいただけます


世間で言われている「ガチ恋」の定義とイメージ

「ガチ恋」と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

ネットやSNSを見ていると、
ガチ恋という言葉は、だいたい次のような文脈で使われていることが多いように感じます。

  • 推しと付き合えると思っている
  • ワンチャンを狙っている
  • 距離感が分かっていない
  • 重い
  • 厄介
  • 周囲に迷惑をかけがち

少し極端に言えば、
「ガチ恋=危ない人」「ガチ恋=よくない推し方」
そんな空気が、いつの間にか出来上がってしまっているようにも見えます。

実際、
「ガチ恋」という言葉が肯定的な意味で使われる場面は、決して多くありません。

どちらかというと、
注意喚起や揶揄、線引きのための言葉として使われることの方が多いでしょう。

その影響もあってか、
ガチ恋という言葉は、
感情そのものを説明する言葉というよりも、

「こうなったらアウト」
「ここから先は危ない」

そんな警告ラベルのような役割を背負わされているように感じます。

だからこそ、
多くの人がこの言葉に触れた瞬間、
無意識のうちに身構えてしまいます。

自分はそこまで行っていないだろうか。
一線を越えてしまっていないだろうか。
周りから見て、痛い存在になっていないだろうか。

本来はただ「好き」という気持ちを表すはずの言葉なのに、
いつの間にか、
自分をチェックするための言葉に変わってしまっている。

ここに、
ガチ恋という言葉がややこしくなってしまった一つの原因があると、私は感じています。


なぜ多くの人が「ガチ恋の定義」を知りたがるのか

ガチ恋という言葉がここまで検索される理由は、
単に意味が分からないからではありません。

私が活動を通して質問を受け付けていると、
最も多く寄せられるテーマが、実はこの「ガチ恋の定義」です。

  • 自分はガチ恋なのでしょうか?
  • どこからがガチ恋なんでしょうか?
  • これは普通の推し活ですか、それともガチ恋ですか?

こうした質問の裏側には、
ある共通した感情が隠れているように感じます。

それは、
「自分の気持ちが、許される範囲にあるのかどうか知りたい」
という不安です。

もし自分がガチ恋だったら、
よくないことなのではないか。
迷惑な存在なのではないか。
一線を越えてしまっているのではないか。

そんな恐れがあるからこそ、
人は「ガチ恋の定義」を探します。

はっきりした線が欲しい。
ここまではセーフで、ここからはアウト。
そう決めてくれる基準があれば、
自分の気持ちを安心して扱えると思ってしまう。

でも実際には、
ガチ恋という言葉は、
その不安を解消してくれるどころか、
かえって不安を強めてしまうことが多いように見えます。

なぜなら、

ガチ恋という言葉そのものが、
すでに「よくないもの」「危ないもの」という
前提を背負ってしまっているからです。

だから人は、
ガチ恋かどうかを知りたいのではなく、
「自分は責められない存在でいられるのか」
を確認したくて、この言葉を検索している。

私はそう感じています。

ここで一つ、大切なことがあります。

それは、

ガチ恋の定義に当てはまること自体が悪いわけではない

ということです。

ただ、
「裁くための定義」
「線引きするための定義」
を求めてしまうと、
どうしても自分の気持ちを苦しめる方向に進んでしまいます。

なので、定義に当てはめてガチ恋かどうか判定する前に、
「ガチ恋」というものをもっと深掘りしてその本質に迫ってみましょう。


「付き合いたい」と思ったらガチ恋?

今まで頂いたガチ恋の定義に関する質問では、
ほぼ必ずと言っていいほど、こんな聞かれ方をします。

「推しと手を繋ぎたいと思ったらガチ恋なんですか?」
「付き合いたいって思ってたら、もうガチ恋ですか?」

この問いに対する私の答えは、

「半分正解で、半分不正解です。」

少し曖昧に聞こえるかもしれませんが、
これは逃げでも、濁しているわけでもありません。
この問いそのものに、
ガチ恋をややこしくしてしまう“前提”が含まれているからです。


付き合いたいと思う気持ちは、ガチ恋の「定義」ではない

まず整理しておきたいのは、
多くのガチ恋勢は、
推しと手を繋ぎたい、付き合いたいと思うことが多い、という事実です。

これは否定しません。
実際、ガチ恋をしていれば、
そうした願望が生まれることはごく自然です。

だからこそ、
「付き合いたいと思う=ガチ恋」と考えてしまう人が多い。

でも、ここで一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

現実の恋愛においても、
好きな人ができたら、
必ず「付き合いたい」と思うでしょうか?

人によっては、

  • 手を繋ぎたい
  • 付き合いたい
  • 一緒に暮らしたい

そうした願望を強く抱く人もいます。

一方で、

  • 相手が幸せならそれでいい
  • 遠くから見守っているだけで満足
  • 関係性を求めなくても好きという気持ちは成立する

そう考える人も、確実に存在します。

つまり、
「好きになった相手と、どうなりたいか」は、
その人の恋愛観の違いであって、
恋愛感情そのものの定義ではありません。

「付き合いたいかどうか」で線を引こうとすると、必ず無理が出る

もし仮に、
「付き合いたいと思ったらガチ恋」
という定義を採用してしまうと、どうなるでしょうか。

  • 付き合いたいと思っていない自分はガチ恋ではないのか
  • 成就を望まない恋は、恋愛ではないのか

そんな疑問が必ず生まれます。

実際、私のもとにも、

「推しと付き合いたいとは思っていません。
ただただ推しの幸せを願っています。
それを支えることができれば自分は幸せです。
それでもガチ恋なんでしょうか?」

という相談が届いたこともあります。

この時点で、
「付き合いたいかどうか」という基準が、
ガチ恋の定義として不十分
であることは、
はっきりしていると思います。

ちなみに私は、この相談者さんに
「立派なガチ恋です」とお答えしました。


成就を望まなくても、恋愛感情は成立する

ここで、はっきり言っておきたいことがあります。

成就を望まなくても、恋愛感情は成立します。

それは現実の恋愛でも、
そして推し活におけるガチ恋でも同じ
です。

自分の気持ちが報われなくてもいい。
想いが一方通行だと分かっていてもいい。
それでも、相手の存在そのものが大切で、
心を占めてしまう。

それもまた、立派な恋愛感情です。

「付き合いたい」という願望は、
恋愛感情の“形”の一つ
にすぎません。
それがあるかどうかで、
ガチ恋かどうかを判断すること自体が、
ズレているのです。


「どうなりたいか」と「どう感じているか」は別の問題

ここまでの話をまとめると、
重要なのはこの一点です。

「どうなりたいか」と「どう感じているか」は別問題である。

  • どうなりたいか
     → 恋愛観・価値観・人生観
  • どう感じているか
     → 恋愛感情そのもの

ガチ恋の定義を考える上で見るべきなのは、
前者ではなく、後者です。

「付き合いたいかどうか」
「手を繋ぎたいかどうか」
「成就を望んでいるかどうか」

これらはすべて、
恋愛感情が生まれた“その後”の話にすぎません。


つまり、「付き合いたい=ガチ恋」ではない

ここまで読んでいただければ、
もうお分かりだと思います。

  • 付き合いたいと思うからガチ恋なのではない
  • 付き合いたいと思わないからガチ恋ではない、というわけでもない

ガチ恋かどうかを決める基準は、
願望の強さでも、行動の内容でもありません。

次の章では、
「ガチ恋と現実の恋愛は本当に別物なのか?」
という視点から、
ガチ恋の本質をさらに深掘りしていきます。


ガチ恋と現実の恋愛は別物なのか?

ここまで読んで、
「でもガチ恋と現実の恋愛って、やっぱり違うよね?」
そう感じている人もいるかもしれません。

確かに、
構造だけを見れば、両者は違います。

推し活におけるガチ恋は、
基本的に成就しません。
相手と恋人関係になることは想定されていないし、
距離ははっきりと隔てられています。

この点だけを切り取れば、
「現実の恋愛とは別物だ」と言われるのも、無理はないでしょう。

ただ、
ここで一度、
何が違っていて、何が同じなのかを分けて考える必要があります。


違うのは「距離」と「構造」であって、「感情」ではない

ガチ恋と現実の恋愛が違うのは、
主に次の二点です。

  • 物理的・社会的な距離
  • 関係性が発展する前提の有無

一方で、
相手を想う気持ちそのものはどうでしょうか。

  • ふとした瞬間に思い出してしまう
  • 相手の幸せを願ってしまう
  • 心の中で大きな存在を占めてしまう

こうした感情は、
現実の恋愛でも、ガチ恋でも、まったく同じように生まれます。

違うのは、
その感情がどこへ向かっていく構造に置かれているかだけ。

感情そのものの質が違うわけではありません。


私自身の体験から感じていること

少し個人的な話をします。

私はこれまでに、
現実の恋愛でお付き合いした方が何人かいます。

その方たちに対して抱いていた気持ちは、

  • 大切にしたい
  • 笑っていてほしい
  • 失いたくない

そういった、いわゆる恋愛感情でした。

そして今、
推しに対して抱いている感情も、
その根っこの部分は、驚くほど同じです。

もちろん、
関係性も、距離も、立場も、まったく違います。

でも、
相手の存在そのものが心を占めてしまう感覚は、
現実の恋愛と何ら変わらない

だから私は、
ガチ恋を「恋愛感情とは別の特殊なもの」として
切り分けることに、ずっと違和感を覚えてきました。


「成就しないから恋愛ではない」は成り立たない

ここで、
よくある反論にも触れておきます。

「どうせ成就しないんだから、恋愛とは言えないのでは?」

一見もっともらしく聞こえますが、
この考え方は、現実の恋愛にも当てはまりません。

現実の恋愛であっても、

  • 片思いで終わる恋
  • 想いが届かない恋
  • タイミングが合わなかった恋

はいくらでもあります。

それらをすべて
「恋愛ではなかった」と切り捨てる人は、
おそらくいないでしょう。

成就するかどうかは、
恋愛感情が生まれた後の結果であって、
恋愛感情そのものの成立条件ではありません


推し活だけを「例外」にする必要はない

にもかかわらず、
推し活におけるガチ恋だけが、

  • 成就しない
  • 一方通行
  • 現実的ではない

という理由で、
恋愛感情から切り離されがちです。

私は、
ここにこそ無理があると感じています。

推し活だけを特別扱いして、
「これは恋愛じゃない」
「これは危ない感情だ」
と線を引こうとするから、
ガチ恋という言葉が苦しくなる。

本来は、
恋愛感情はもっと多様で、もっと自由なもののはずです。


恋愛感情を否定しなくていい

ここまでの話を踏まえると、
一つの前提に行き着きます。

それは、
恋愛感情そのものを否定する必要はないということです。

問題になるとすれば、
それは感情の存在ではなく、

  • どう扱うか
  • どこまで行動に移すか
  • 自分の生活とどう折り合いをつけるか

といった部分です。

そしてそれは、
現実の恋愛でも、ガチ恋でも、
同じように向き合うべきテーマです。


ガチ恋の定義

ここまで、
「付き合いたいかどうか」
「成就するかどうか」
「現実の恋愛か、推し活か」
そうした視点から、ガチ恋という言葉を一つずつほどいてきました。

その上で、
私がガチ恋研究家としてたどり着いた結論を、
ここで改めてはっきりと言葉にしておきます。

ガチ恋とは、
相手の存在そのものが、
自分にとって特別な意味を持っている心の状態。
そしてそれは、
現実での恋愛感情と同じである。

これが、
私が考える「ガチ恋」の定義です。


行動や願望ではなく、「心の状態」を見る

この定義で大切にしているのは、
「何をしたいか」ではありません。

  • 付き合いたいかどうか
  • 手を繋ぎたいかどうか
  • 成就を望んでいるかどうか

そういった願望や行動は、
恋愛感情が生まれたあとに現れるものです。

ガチ恋かどうかを決める基準は、
そこではありません。

見るべきなのは、

  • ふとした瞬間に思い出してしまう
  • 相手の幸せを自然と願ってしまう
  • 気づけば心の中で大きな存在になっている

そうした、
相手の存在が心の中で占めている「意味」そのものです。


ガチ恋は、異質な感情ではない

世間では、
ガチ恋はよく「危ないもの」「重たいもの」「現実的じゃないもの」
として語られがちです。

でも私は、
ガチ恋をそんな異質な感情だとは思っていません

なぜなら、

  • 現実の恋愛で感じる気持ち
  • 推しに対して抱くガチ恋の気持ち

その感情の質そのものに、
本質的な違いはないからです。

違うのは、

  • 距離
  • 関係性の構造
  • 成就が想定されているかどうか

ただそれだけ。

感情そのものが劣っているわけでも、
歪んでいるわけでもありません。


ガチ恋かどうかを「判定」しなくていい

ここまで読んでくれたあなたに、
一つ伝えておきたいことがあります。

ガチ恋かどうかを、無理に判定する必要はありません。

  • 自分はガチ恋なのか
  • これは普通の推し活なのか
  • 一線を越えているのか

そうやって自分の気持ちを裁こうとすると、
どうしても苦しくなってしまいます。

大切なのは、

「この気持ちをどう扱うか」
「自分の生活とどう折り合いをつけるか」

その部分です。

感情そのものを否定する必要は、ありません。


ガチ恋は「間違い」ではない

ガチ恋は、

  • 弱さでも
  • 依存でも
  • 恥ずかしいものでも

ありません。

それはただ、
誰かの存在が、
あなたの人生の中で特別な意味を持ったというだけのことです。

その気持ちが生まれたこと自体は、
とても素晴らしいことです。


最後に

もし今、
「自分はガチ恋なのかもしれない」と感じて、
少し不安になっていたら。

まずは、こう思ってください。

それでいい。

好きになる形も、
距離の取り方も、
想いの向け方も、
人それぞれです。

ガチ恋という言葉が、
あなたの気持ちを縛るものではなく、
自分の感情を理解するための言葉として使われること。

それが、
ガチ恋研究家としての、
私の願いです。


ここまで読んでくれたあなたは、
きっともう気づいていると思います。

ガチ恋そのものが問題なのではなく、
その気持ちとどう向き合い、どう扱っていくかが大切だということに。

私自身、
ガチ恋という感情を否定せず、
でも振り回されすぎないために、
たくさん悩んで、試して、失敗してきました。

その中でたどり着いた考え方やバランス感覚を、
一冊にまとめたのが
『ガチ恋バランス〜VTuberの愛し方〜』です。

この書籍は、
「ガチ恋をやめる方法」でも
「距離を取るべき理由」でもありません。

好きになってしまった気持ちをそのままに、
それでも苦しくならず、
長く、穏やかに推し活を続けていくための考え方をまとめた書籍です。

もし今、
「この気持ちを大切にしたい」
「でも、もう少し楽でいたい」
そう感じているなら、
きっとこの記事の続きとして読んでもらえる内容だと思います。

無理に読む必要はありません。
ただ、必要だと感じたタイミングで、
そっと手に取ってもらえたら嬉しいです。

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